ゲーム業界タブロイド
ゲーム業界についての様々な情報を掲載しています
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任天堂社長の10年
2002年5月31日に岩田聡氏が任天堂の社長に就任。
本日2012年5月30日で丸10年が経ったことになります。
岩田社長については、コチラを参照して下さい。

社長就任当時の任天堂は、それはもう危機的状況でした。
前世代ニンテンドウ64はプレイステーションとの勝負に敗れ、
その後継機ゲームキューブはプレイステーション2になす術もなく敗れました。
ゲームボーイアドバンスは本体こそ好調に売れていましたが、ソフト売上げは今一つ勢いがありませんでした。

この最悪の状況から、ニンテンドーDSやWiiによって華麗な復活を遂げたというのは、
正に奇跡と言えるかもしれません。
岩田社長の経営手腕なくして、この復活はあり得なかったでしょう。

岩田社長のユニークな点は、自らが率先して情報を発信するところです。
"社長が訊く"や"ニンテンドーダイレクト"などでその様子がうかがえます。
特に社長が訊くは、任天堂・そして岩田社長のゲームに対する姿勢が垣間見えて、読み物としても非常に面白いです。
まだご覧になったことのない方は、是非以下のリンク先へどうぞ。
http://www.nintendo.co.jp/corporate/links/index.html

しかし、2011年度は任天堂が上場以来初の赤字となったことで、
岩田社長の実績に傷が付いたと言えるかもしれません。
ですが、現状は2002年当時に比べればはるかにマシだと思います。
かつての最悪な状況を乗り越えた岩田社長なら、ここからまた驚異的な巻き返しをしてくれることでしょう。
日本のゲーム市場に元気がない今、任天堂がゲーム業界を盛り上げる存在になることを期待しています。

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高橋名人結婚!
2011年12月9日、"高橋名人"こと本名"高橋利幸"氏が入籍したことが明らかになりました。
ニコニコ生放送の番組"ゲッチャ"に出演中、自身の口から発表。
視聴者からはお祝いのコメントが多数寄せられました。
お相手の誕生日がこの日だったとのこと。

高橋名人って現在52歳なんですね、初婚だったとは以外でした。



高橋名人は、1980年代後半に一世を風靡したハドソンの社員。
1秒間にコントローラーのボタンを16回連打できる特技、通称"16連射"はあまりにも有名です。

2006年11月1日より、ハドソンでの正式な役職名が"名人"(実質的には部長待遇)となりました。

ハドソンが、コンシューマーゲーム業界から身を引くことになったのを機に、2011年5月31日付けでハドソンを退社。
翌6月1日にゲッチャ・コミュニケーションズに入社しました。
ハドソンから許可を受け、"高橋名人"の愛称は今後も使用できることになりました。

「ゲームは1日1時間!」

すぎやまこういち その半生
すぎやまこういち氏について

<職業>
すぎやまこういち(本名・椙山 浩一)は、作曲家。
ドラゴンクエストの作曲をシリーズ通して担当していることはあまりにも有名。

<代表作>
恋のフーガ(ザ・ピーナッツ)
亜麻色の髪の乙女(ヴィレッジ・シンガーズ)
花の首飾り・君だけに愛を・モナリザの微笑(ザ・タイガース)
学生街の喫茶店(ガロ)
帰ってきたウルトラマン(主題歌)
科学忍者隊ガッチャマンII(主題歌)
伝説巨神イデオン(主題歌・BGM)
東京競馬場・中山競馬場(ファンファーレ)
などといった、往年のヒット歌謡曲や、アニメ・特撮関連の楽曲を数多く提供している。

<学生時代>
大学進学時に音楽学校への入学を希望していたが、
全ての音楽学校で入試にピアノ演奏の実技が含まれていたことを知り、断念した。(ピアノは一切弾けない)
そこで、仕方なく(!)東京大学へ入学した。

ドラゴンクエストとの出会い>
1985年にエニックスから発売されたパソコンソフト"森田和郎の将棋"をプレイし、
コンピューターの思考ルーティンに納得がいかなかったことをアンケート葉書に書いて送った。
(葉書を投函せずに放っておいたところ、それを見つけた奥さんが勝手に投函していた)
名前欄に"すぎやまこういち"とひらがなで書いてあったため、
エニックス社員も最初は小学生からの葉書だと勘違いしたという。
ちなみに、名前をひらがな表記にしているのは、"椙山"を"杉山"と間違われたり、
"まさやま"と誤読されたりすることが多かったための措置。
びっしりと書き込まれたアンケート葉書を見たエニックス社員たちは、
この人とならば素晴らしいゲームが作れると思い、ドラゴンクエストの作曲を依頼することになったのである。

<序曲>
ドラゴンクエストのテーマ曲である"序曲"は、おそらく日本で最も有名なゲーム音楽であろう。
この序曲のメロディーは、わずか5分で完成したというのだから驚きである!
すぎやま氏は、これを「5分+54年」と表現しており、
それまでの54年の人生の積み重ねがあったからこそ生み出すことができたのだと語っている。
(前述の"亜麻色の髪の乙女"も5分程度で出来上がったという)
「理屈で考えすぎずに、ひらめきを大切にした方が大ヒット曲ができる」というのが本人の弁。

<ゲーム音楽について>
歌謡曲などとゲーム音楽とは作り方が全く逆であると語っている。
一般の楽曲は、一度聞いただけでインパクトがあるものにしなければヒットに繋がらないが、
その分、飽きられるのも早い。
ゲーム音楽は何回も何時間も聞き続けることになるので、
地味でもいいから聞き飽きない曲を作ることを意識しているという。
世の中で長く親しまれている音楽の代表といえばクラシックであり、
それ故にドラゴンクエストの楽曲もクラシック音楽をベースに作曲されているのである。
(もちろん、ドラゴンクエストの世界観がクラシック音楽に合致しているという点が重要)
ちなみに、初代ドラゴンクエストの作曲期間はわずか一週間しかなかったが、
不眠不休で完成にこぎつけたらしい。
これだけ短期間で素晴らしい楽曲が生みだせるというのは、流石すぎやま御大といったところだろう。

<ゲーム作曲家としての姿勢>
(これがプレステ2だ!―SCE久多良木健氏インタビュー― ASCII24)

久多良木「もっとも驚いたのは、ファミコンをやってるときに、サウンドトラックが4本しかありませんと、
音のディレイもありませんと、それで音楽を表現しないといけないと。
そんなもんで音楽なんてやれませんよね」

(ニンテンドードリーム 2005年11月号 すぎやまこういちインタビュー)

すぎやま「『3トラックで音楽ができるわけがない』という声も聞かれたんですが、
僕から言わせると、『それは力がないからだ』ということになるわけです。
バッハの"フルートのための無伴奏パルティータ"は、フルート1本ですばらしい組曲ができてるわけです。
あれは、1トラックなんだよね。
1トラックでも、メロディ、ハーモニー、リズムをぜんぶ表現できるということを、
大先輩のバッハがやってるわけですから、『2トラックではできません』というのは、
プロのセリフではないわけです。



<ゲーマー>
見た目の印象からはイメージしにくいが、熱狂的なゲームファンであり、
自身が関わっているドラゴンクエストは全員レベル99まで育てている程のやりこみ具合である。
そのゲーマー魂は若かりし頃からのものであり、
ブロックくずしやインベーダーといった黎明期のビデオゲームはもちろん、
将棋や麻雀、バックギャモン(日本バックギャモン協会名誉会長に就任している)といったテーブルゲームや、
ラスベガスへ行ってのギャンブルなど、その守備範囲は非常に広い。
なかでも、すぎやま氏が特に好きだったのは"ビンゴ"というゲーム(ピンボールに似たゲーム)で、
当時ビンゴをやるために東京から横浜まで車を飛ばして遊びに行っていた程の熱狂振りである。
(昭和40年頃にはビンゴは横浜にしか設置されていなかった)
ドラゴンクエストのプログラマーである中村光一は、
当初すぎやま氏のドラゴンクエストへの起用を反対していた。
(大作曲家であるすぎやま氏がゲーム音楽を真剣に作ってくれるとは思っていなかった)
しかし、すぎやま氏がビンゴの大ファンであると知った瞬間から目の色が変わり、(中村もビンゴの大ファン)
すぎやま氏のゲームに対する情熱を知り、以後は尊敬の眼差しになったという。

<これから>
ゲーム音楽をつくることは天職だと思っており、
ドラゴンクエストの作曲を引退するつもりはないと語っている。



宮本茂 GODMAN
ゲームファンの方々へは今更説明するまでもないでしょうが、
宮本茂氏についての説明をしておこうと思います。

<職業>
宮本茂は、任天堂株式会社の専務取締役情報開発本部長であり、
世界で最も有名なゲームクリエイターと言われている。

<代表作>
"ドンキーコング""マリオシリーズ""ゼルダの伝説"など多数。
その中でも特に有名かつ人気の高いものは、ファミコンのスーパーマリオブラザーズであろう。
国内で681万本、全世界では4024万本を売り上げ、
「世界一売れたゲーム」としてギネスブックに登録されている。
日常生活のひとコマからゲームのアイデアを閃くことも多く、
庭いじりの趣味が高じて"ピクミン"を開発、
犬を飼いはじめて"nintendogs"を開発、
毎日体重を量る楽しさを知って"WiiFit"を開発、といった事例がある。
現在では、個々のソフトに注力する立場から、任天堂ソフトを全体的に監修する立場に変わっており、
近年の任天堂主力ソフトのほとんどに関わっている。

<ちゃぶ台返し>
全体を統括する立場上、開発スタッフにダメだしをすることが頻繁にあり、
納得いかない出来であれば完成間近のゲームを白紙に戻して一から作り直させることもある。
これは"ちゃぶ台返し"と呼ばれ、開発スタッフから大いに恐れられている。
しかし宮本の見る目は確かで、ちゃぶ台返し後は以前より格段にクオリティアップした出来になるため、
開発スタッフも納得せざるを得ないのである。

<制作姿勢>
万人向けのゲーム作りを重視しており、ライトユーザー・コアユーザー・年齢・性別・国籍に関わらず、
あらゆる人々に受け入れてもらえるものを目指して開発を行っている。
全ての顧客に満足してもらえる商品の開発はクリエイターとして究極の目標であり、
およそ実現不可能と思われるが、あえてそれを目標にすることで開発レベルの向上に努めているのである。

<コントローラー>
スーパーファミコンのLRボタンや、NINTENDO64におけるアナログスティックの発案者である。
この入力デバイスは現在のほとんどのゲーム機に採用されており、その影響力は非常に大きいです。

<エピソード>
1990年にポール・マッカートニーが日本公演に来た際、宮本を食事に招待しサインを貰ったという逸話がある。
ポールの息子(当時11歳)が宮本のファンだったとのこと。
普段はサインを求められる側のポールが、サインをねだる側になるという稀有な事例である。

<リスペクト>
2009年、イギリスで開催された"game developers' game development hero"にて
世界中のゲームクリエイターから集計された総投票数9000票の内の約3分の1を宮本が獲得し、
"ゲーム開発者にとっての開発業界のヒーロー"第1位に選ばれた。

任天堂愛>
マイクロソフトがゲーム業界に参入する際、
任天堂の10倍の給料(おそらく年収10億円以上)を条件に宮本を引き抜こうとしたが、
「(任天堂には)仲間がいるから」と言って断ったという。

<受賞歴>
・1998年には世界で初めて、"AIAS"の殿堂入りを果たした。
(AIASとは"The Academy of Interactive Arts & Sciences"の略称。
米国のゲーム会社やクリエイター達によって設立された団体で、
毎年ゲーム業界に大きな影響を与えた人物を選出している。)
・2006年には、フランス政府から芸術文化勲章"シュバリエ章"(シュバリエ=騎士)を受章した。
これはゲーム業界人としては至上初の快挙である。
・2007年には、米タイム誌の"TIME 100"(世界で最も影響力がある100人)に
アップルのスティーブ・ジョブズ氏やバラク・オバマ上院議員(現米大統領)などと並んで選出された。
更には、2008年の"Your Time 100"(世界で最も影響力がある100人のオンライン版)において、
得票数1位(197万4651票)を獲得した。
他にも数々の受賞経歴を持ち、その功績は世界中から賞賛されている。

<日本における認知度>
世界的に有名な宮本氏ではあるが、実は本国である日本での知名度は驚くほど低い。
もちろんゲーマーならば知っているだろうが、一般人の認知度は皆無に近いのではないだろうか?
以前、笑っていいともで"世界で活躍する日本人と言えば?"というお題に
BREAKERZのDAIGOが「任天堂の宮本さん」と答えましたが、
観客からは「え~~~!?」とブーイングが…。
明らかに誰か知らねーよという空気になっていました。
これ程の偉大なゲームクリエイターが認知されていないという日本の現状は悲しいものです。


松本人志・宮本茂
11月5日にNHKBSプレミアムで松本人志大文化祭が放送されました。
その中で、ダウンタウンの松本人志氏と任天堂の宮本茂氏のスペシャル対談がありました。
非常に興味深い内容でしたので、そのやりとりのいくつかをピックアップしてご紹介します。


松「自分はゲーマーじゃないけど、今までにハマったゲームが10タイトルぐらいある。
  気が付いたら、その半分以上が宮本さんの作品だった。
  宮本さんのゲームを遊んでいると、
  自分自身が宮本さんにコントローラーで操作されているような感覚に陥った。
  この人はすごい!と思って嬉しくなった。
  いったいどんな人なんだろうと、脳内を覗いてみたくなった。
  それが今回の対談をお願いしたきっかけ」


松「過去に自分がやったコントと同じものをセリフだけ変えてやってくれと言われるけど、
  それはやりたくない。+αが必要。
  でもピクミンはステージを変えただけのもので良いから早く続編を遊びたいという矛盾!ファンは勝手!」
宮「やっぱりファンの期待には応えたい、しかしこれまでと一緒では嫌。
  前作から追加していくだけなら早く作れるけど、どんどん複雑化して初めての人には敬遠されてしまう。
  今までとは少し外した部分を提供できると、深い人にも新しい人にも受け入れてもらえるものができる」


松「ゲームユーザーは増えているのか減っているのか?」
宮「ユーザーがどんどん減っていくのはしょうがないので気にしない。
  娯楽はブームを何度起こせるかが大事。
  マリオを面白いと言ってくれる人の"ここが面白かった"という点の半分ぐらいは他のゲームでもやっていること。
  ゲームを知っている人と知らない人の両方がいるということに注意している」


松「宮本さんも映画を作ればいいのに」
宮「映画とゲームは似ているようで違う。
  映画はストーリーに感動する。
  ゲームは苦労した自分に対して感動する
  それぐらい本気で使ってもらえる場所や環境を作るのが僕たちの仕事」


松「なぜ爆発的ヒットのゲームがでなくなった?」
宮「世の中の80%ぐらいの物は欲しいと思ったけど買わなかった物。
  そこをどう取るかということを議論しても答えはでない。
  そういう潜在的なお客がたくさんいるということを意識してやっていけば間違いないと思う」


松「日本と海外のゲームの差はあるか?」
宮「個人的には無いと思っている。
  昔はゲーム機の性能が低かったので、思いついたことを何でもかんでも実現させることはできなかった。  
  海外はとにかくバンバン詰め込もうとするので失敗していた。
  日本人は限られた技術で丁寧に作るのが得意だから上手くいっていた。
  でも、最近はゲーム機の性能が上がって、丁寧さをパワーが凌駕してきた。
  海外メーカーも作りなれたことで細かい部分もすごく上手くなってる。
  結果、今の日本は海外勢に押されている」
松「格闘技と全く同じですね」
宮「映画もそうですよね。
  ハリウッド映画もその圧倒的なパワーで一時代を築いた。
  でも今はそれも陰りが見えてきて、原点に返ってきた作品が評価されている。
  ゲームも将来そうなって行くのではないか」


宮「僕らの目指すエンターテイメントとして、触ってすぐ面白いと思ってもらえるものを作りたい。
  ビートルズの音楽のように思い出に残るものを目指す。
  表現方法はゲームでなくても良い、けどゲームが一番やりやすいのでゲームでやっていくとは思う。
  ゲームが今の枠を飛び出していければと思う」
松「僕たちの仕事は絶対必要というものではない、だからこそ手は抜かない。
  人の時間を奪ってる以上、納得してもらえるものでないと申し訳ない」
宮「子供をバカにしてはいけない。
  子供をバカにしているものを見ると腹が立つ。
  子供はものを知らないないだけで知性はある。
  世の中には明らかに女子供を馬鹿にしたコンテンツがあるので、絶対そっちへは行くなと言ってます」

以上。


冒頭、松本氏が尋常じゃない程汗をかいていて、その緊張ぶりが伺えました。
それから、ピクミン3開発中と聞いた時の、驚きと嬉しさの入り混じった顔が印象的でした。

また、宮本氏のゲーム作りに対する姿勢に改めて感銘を受けました。

宮本茂氏についての解説はコチラ




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